三点不一致の法則とその普遍性について 




















****三点不一致の法則とその普遍性について」002/003








 イサクとヨハネのもめ事のど真ん中にいる女については、
蔡も知らぬ相手ではない。
 知らぬ相手どころか、かなり苛々させられている。


 不遜で。偉そうで。知識もないくせに何もかも判っている
ような顔をして。
 おそらくはこれまで誰にも負けたことなどないのだろう、
傲慢なまでの自信に溢れている。


 その顎は常に斜め30度上にあがり、背はさして高くない
くせに、人を見下ろすように見る。
 腕は胸の前で組まれているのが定位置だ。
 話した後は、その長い黒髪の裾でこちらの鼻先をはたかん
ばかりに勢いよくくるりと踵を巡らせて、後はこちらを振り
向きもしない。


 本当は、イサクとヨハネを手こずらせ、彼らを統べるマダム
を怒らせたただけで、彼自身がかかわる用などなかったはずな
のだが………いや、自慢の発明の粋たる使い魔を大破させられ
たから、恨みがないといえば嘘になるか………しかし、その顔
を思い出すと同時に落ち着かぬ心地になる、この苛々は明らか
に、あの女と話して、その鼻持ちならなさを実体験してのちの
ものだ。


 ………女の名は、葛葉涼。
年は19だから、彼より4つも年下だ。
 女であるというだけでも儒教の国の倫理観が身に沁みこんで
いる蔡からはどうしても見下げてしまう部分があるのに、この
女ときたら………!


 思い返すだけで、自然、眉が寄って険悪な顔になってしまう、
それだけで、彼がどれほど鬱陶しく腹立たしく思っているかは、
推して知れるだろう。

 ヨハネも同じだ。

 ヨハネは、あの女に、目の前でたった一人の肉親である兄で、
何をするにも共に来たイサクの中に、魔を埋められた。
 それでイサクは長い深い眠りに落ち、ヨハネがそのことに
ついてマダムに泣きついたから、彼らと個人的なよしみのある
蔡が選ばれ、彼らを助けるために乗り出してきたわけだが……
それはともかく、まぁ、あの女には恨み骨髄なのである。



 ただ、イサクは。
………イサクは違う。
 この男は、本来、女好きなのだ。



親交のある蔡ですら、その様にはいささか呆れずにはおかぬ位。
 <アーク>が世界の港から港へ航海する、その日々、三日以上、
女の肌から手を離したことはないのではないか。
 それも、同じ女ではない。おおよそ近づいてくる者は拒まない
し、目くばして近づいてこない者には面白がって覗きにゆく。



 真症の女好きなのだ。
女と名がついて、そこそこ見目がよかったり、何か特別な煌めきを
見せたなら、どうでも一度は手にいれないと、気が済まない。
 ヨハネも病気とは良く言った。
医者も、この男には診断書を書いてしかるべきだ!


 ………そんな風だから、涼の事も、彼らとはまったく別の目で見ている。
手に入れたがっているのだ。


 己になびかぬ高慢な女。
しかも、己に一杯食わせた女となれば、それは、この男的に言えば、
どうして落とさずにおかれるものかという存在だろう。
 わからないではない。
成る程、その思考回路はイサクならではと、むしろ納得してしまう。
 それに対して、潔癖なところがあるヨハネが過剰に嫌悪感を隠さ
ぬのも理解できる。


 理解できぬのは、むしろ、蔡………己自身なのはずなのだが。
そのことについては、棚にあげている。
 わざとではないが、考えもしていない。


 再び皿に向かいあいながら、まるでヨハネとイサクのやりとりは、
何も聞こえていなかったというふうに、少し冷めて食べやすくなった
魚の餡かけに取り組み出す。


 イサクが、涼に、この航海の間は手を出さぬと約束したという
その事について、考えている。


 どうせ、あの女がこの航海の間に、自分になびかぬわけがないと、
その計算あっての口先約束なのに違いない。

 涼が嫌がらなくなると、その確信があるからこそのことだ。
それに、あの女が気付いているかどうかだが。


 ………おそらくは、気などついていないだろうな。


 そう思うと、蔡は妙に落ち着かぬ心地になる。

 きっと、イサクの事を優しいと、そんな風に考え、自分は大切にされたと
でも勘違いして、感激しているに違いない。
 そこまではいかないまでも、少なくとも、それで、好感は抱いたはずだ。
それこそ、イサクの思うつぼだとなぞとは、予想もしまい。


 女というのは、そういうところ、どれほど頭が良かろうが、智恵が廻ろう
が、基本的に馬鹿なのだ。
 女は、頭でなく子宮でものを考える。
そう言ったのは、ギリシャあたりの哲人だったか?


 ………一言、言っておいてやった方が良かろうな。


 普段の食事より、箸のスピードが1.5倍。


 猛烈といっていいような早さで魚を平らげながら、骨を押さえるのに身を
触って指先についた餡を舐めとりつ、考えた目は見事に座っている。
 本来なら魚と共に食べるはずだった焦げ飯を食べ忘れていたことに気付いて、
箸先でカリカリ言わせながら、それを取り崩しつ。

 蔡は、もう、女の今、居そうな場所を、<アーク>各所を思い浮かべ、脳内で
検索している。
 


 ………蔡は。



実は、この女を巡って、彼はイサクと賭けをしている。
 この女が航海の間に、イサクを選ぶか、自分を選ぶか。
選ばれた方が、この女の所有権を得る。
 そして、選ばれなかった方はけしてもう手を出さない。


 蔡も、かつてしたことのない………そんな、理由も目的も己で知れぬ、
訳のわからぬ、しかし、意地でも負けたくない賭けを。
 イサクに負けたくないという、ただ、その一義だけで、しているのだ。


言っておくが、蔡には恋人を作った経験もなければ、女を口説いた経験も
ない。


 女を欲したいという欲求よりも、遙かに、彼の知識欲は深く、また、
それに彼を巡る日々は恐ろしく多忙であったのだ。


 そんな自分が、百戦錬磨のイサクを向こうに回して、どうやって、女に
自分を選ばせるのか………

 考えもしないのかというと、そこは学者馬鹿の馬鹿と名のつく所以。

 本気なれば、己に出来ぬことがあるとは思えない、そんな、根拠のない
自信に根ざしている。
 分が悪いのは馬鹿なりに理解している。
だから………経験を埋め合わせるように、策を巡らせる。

 人を心理面から追いつめる策謀は、蔡、お手の物である。

 それは、本来、恋愛に応用する種類のものではなかろうが、なに、本人は、
最初から微塵も恋愛のためにその女の所有権を欲しているわけではない。
 では、何故欲しているのか………


 葛葉涼は、どう考えても人の理を越えた力を持っていたから、解剖して、
その力の源がどこにあるのか、それを探りたい。
 研究材料として貴重。
 それがイサクに告げた理由だったが、だが、己がメスを持ってあの女の腹
を開く姿を明確に蔡が描き持っているかと言うと、実はそうではない。


 そして………そうではないことに己で気付いていない。
その感情の想定にすらないから、気がつけない。
矛盾を抱えながら、己の内部に矛盾が存在することなど、考えたこともない。


 だから………己に何の疑いもなく、ただ、今は、がむしゃらに食事を終わら
せて、女を探し、忠告しておこうとしているわけだ。
 その想いの、まわりくどいこと、まさに、いたましいほどだが、こうなると、
果たして気がつくことが幸いなのか、不幸なのか………なんとも、難しいとこ
ろではある。







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