10月3日先負
【涼が戻りません】
………。
お仕置きですとも。あたりまえです。
もちろん、繰り人もともにでございます。
私を一週間ちかくもバイオリンケースの中に軟禁する理由がどうしても納得ゆきません。
そう思っておりましたのですが……気勢を削がれました。
繰り人が、工房で組み上げました【弥勒】2体が飾られておりました。
そのうちの一体は、涼の姉であり、私の妹の絵美子でありました。
☆★☆
「これが……【弥勒】なのですね?」
問いますと、繰り人は難しい顔のまま頷いたものです。
「サスペンス劇場に洋画劇場やねん」
「は?」
「名前な。白い方が「火曜(アンガーラカ)」で金きらきんの方が「木曜(プリハスパティ)」」
はぁ。また脈絡のない。
「【弥勒】は少女でなければならないのですか? 絵美子の姿を見れば、涼は安堵するでしょうが」
尋ねると、さらに難しい顔をしたものでございます。
「……これでも、まだ肝心かなめの顔もできてないし、入れ墨もかけてないし、最終、服も着せたる
予定やねんけどな」
会話が成り立っておりません。
繰り人がこのような顔をしているときには、もう、何を言っても耳に入っていないと思われます。
さして遠くはないと思っていた存在に絶対の距離を感じるということが稀にございますが、
まさにこのときがそうと申せましょう。
確かに、繰り人は人で、我等は人形。
このとき感じる距離は、しかし、それだけのものではない気がいたします。
繰り人の事は後にして、とにかく涼だけでも一言言っておかねばと、と思い、工房を出ようとしました私を、
繰り人が私を呼び止めました。
「桜木。あんた、絵美子の姿見てもほかにコメントないんか?」
「は?」
「だって、これが涼やったら、怒るやろ?」
胃の腑が凍ったような気がしました。私の形相に、ちゃう、ちゃうと繰り人は頭を横にふります。
「いじってないよ。大丈夫、涼はクローゼットの前のコピー機の上にクラウンと一緒におるから」
心臓に悪いです。動いてはいませんが。
「涼の顔やけどな」
あからさまにホッとしている私に、繰り人が続けました。
「あんたがなんて言っても、いつか、変えるから。私が、描くから」
返事をしようとしましたが、声が出ません。
「あんたの顔をいじる気はないで。でも、涼は変える。あの子は、まだ、あの子に
なってないから」
……聞こえないふりで繰り人の側を離れるのが精一杯の抵抗でございました。
☆★☆
予想外にディープなボディーブローをくらってしまい、涼の顔を見ても、もはや怒る気にはなれませんでした。
繰り人の目的がこれであったなら、まんまとはめられたというべきですね。
もとより、羽目をはずしすぎて帰るに帰れなくなっただけだろうということは、
てんから予想の内のこと。
反省している、耳を前に伏せた子犬のような顔で、あの子にちろりと伺われると。
ましてや、ごめんなさいなのじゃ、などと小声で言うのを聞いては。
とどめに、おみやげなのじゃ、と、クッキーなぞを渡されて、ニヤッとされては。
おかげで、もはや、浅いため息ひとつ漏らすのが精一杯というていたらく。
なんと申しますか、ほとほと、いや、はや……
それにしても。
「……あの人は、どうして【弥勒】を造りたがっているのだろうね、涼」
どうしてか、工房のあの二体のことが気になって仕方がありません。
あれは、鴉君たちとは全く違うのものでした。
……この胸騒ぎは、いったい何が故のものであるのでしょう?
質問の意図のわからぬ涼は、怪訝な顔をしたのみでしたが。
あの人が、いつかもし、本当に【弥勒】を造ろうとしたとき、そのとき、
その素体とされるのは、もしかしたら……だからこそ、繰り人はあの時、あんな
ことを急に言い出したのではないか……
杞憂で、あってくれれば良いのですが。
私は、何故だか、あれらが出来上がるのが、少しばかり、恐ろしい気がして、
ならぬのです。
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