9月12日 「日誌をつけます」



  



  日誌をつけてくれないかと、繰り人から頼みこまれました。
 なにしろ繰り人の作業が進まないことには更新のできない頁ばかりです。
  苦し紛れですね。ともあれ、私も他にすることもないので……(苦笑)
 断る理由もございません。つれづれに、いろいろと書き付けるのも楽しいかと思い、
 引き受ける事にいたしました。
  考えれば、私どもと繰り人について、なかなかお話する機会もございません。
 少しでも私どもの事について、お話ができればと思っております。

  繰り人の話が出ましたので、少し詳しくあの変人のことをばご紹介させて戴きましょうか。
 飽かれましたら、どうかお許し下さい。

 ☆★☆

  我等が繰り人は、不惑まではまだまだありますが、それにしても惑いっぱなしの2児の母。
 物語を作る職につきたいと独学を続けております者ですが、
  それが何がゆえか、「人形」にもの狂い、心乱され。
 やがて、物語を、己が手の人形で表してみたいとめくらめっぽうに走り出したのがはじめ。
  そうして今も、暗中模索のまっただ中におります。

  我等も元は、繰り人の物語の中にある者の名と物語を付されて出来ました。
 しかし、生まれてのちは、こうして、物語とは全く別の「個」として歩みだしております。

  工房などと名に冠しましたものも、もとより出せるほどの技も名もないがゆえの事。
 顔を隠して、やりたい放題のお目汚しではございますが、志しのみお酌み取り戴き、
  寛大な目で見ていただければ繰り人ともども、幸いです。

 あの人は、人形である私どもの目から見ましても、すこうし、頭の出来がおかしゅうございます。
  頭の中に、おそらく一部分だけ、変な物が詰めこまれてしまいましたのでしょう。
 それが何かはわかりませんが、そのせいで幼い時分から、なかなか生きづらい思いをしてきたよう
 でございます。
  単に不器用なのであれば、もう少しばかり愛すべき人柄にもなりましたものを。
 人と話していても、どんどんずれていく己をどうして良いものか、自分でよく判らない。
  そのような人です。

  何が欠けているのか、どうすれば人になれるのか、繰り人はよく私に尋ねてきます。
 笑止、こちらは人形ですので、答えようもございません。
  ですが、ともに話していると、いつも同じ結論に達します。
 
  生きづらいのは、おそらくはどのご時世、どのような人でも、なにがしか生きづらい。
 生きがたい、がたいと嘆くより、その生きがたさこそ、愛すべき。
  おそらくは、それこそが人である証拠(あかし)。

  その結論に至りますと、何にも解決しなくても、もうそれで、
 毎度、繰り人は満足なようで……
  繰り人に言わせれば、それが人が物語を語る、紛れもない理由の一つだそうで。

  もはやこのあたりになりますと、私には理解の範疇を越えております。
 繰り人に言わせれば、人ならば、判る者もいるだろうと言うことなのですが、さて、はて。
  如何なものなのでございましょうねぇ?

 もし、繰り人の言うとおりならば、まずもって、繰り人に限らず、
  「人」とはおもしろうございます。










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