Ghost Foundation 01 |
Ghost Foundation 01 ****兄君失踪001 |
恒例行事だから、もう誰も驚かない。 眉一つ、動かさない。 欠伸をしているものまでいる。 慌てているのは、有坂一人だ。 姫さま、と、叫ぶ声が祭祀場の右から左へ、左から右へ、果ては雷としか思えぬ轟音やら、悲鳴やら……まぁ、次から次へとかまびすしいことこの上ないが、「オモテ」につとめるものならば、最低、一ヶ月に一度のペースで彼らの騒ぎには付き合わされているので、今さらどうということもないのである。 ………やがて、よれよれになった有坂が、スーツの袖をまくりつ、傷だらけという無惨な姿で戻ってくる。 普段は室長秘書を務める金森が、熱いおしぼりを三つほども用意しておく、これもまた恒例のことだ。 「姫さまのご勘気は納まりまして?」 笑いながら問われて、げんなりとした顔で頷く有坂を、部屋の者たちがようやく手を止めて振り返るのも、このときである。 こと、このことに関しては、以外に自分たちにできることがないのを知っている。 「今日はまた、ひどくご機嫌が悪くって」 金森の差し出したおしぼりをたてつづけに三枚使い、汗まみれの顔や腕や頚の後ろを拭ったあと、それでも気遣わしげに、有坂が祭祀場へ続く扉を仰ぐから、自然、部屋の者たちもそちらへ目をやっている。 だが、扉の向こうには、正直、直視するもの恐ろしい人がいるのだ。 できればあの戸は、今は開いて欲しくない。 どの目にも、その儚い願いが、嵐の夜の蝋燭の灯のように、細く灯っている。 「あの方は……毎月恒例の行事であるのに、一体、どうされたことやら」 腕組みをして、いささか案じ顔で呟くのは、この男があの人に慣れているからであって、他の者はけしてそうではない。 できれば、関わり合いたくない人間、ベストワンをあげろと言われれば、この部屋の人間の意見は、常に一致している。証拠に、本来なら毎月、この役を担うべき室長の細田は、何故か、新月の前日から、必ずどこかへ急な出張が入る。先月は宮城だった。いや、今月だったか。 有坂も、もう覚悟が出来ているから、室長の立ち会いは期待していない。 現場あがりの細田が面倒がりな事なら、誰より彼が一番被害を被っているので、これもまた、よく判っているのである。 「月の障りではございませんの?」 小さな声で金森が尋ねてくる言葉に、扉を見たまま、有坂の頬が、僅かにふわと赤らんだ。が、イイエ、と、小さく頚を横に振る。 「姫さまの体調管理はこの有坂が看ております。万全。むしろ、新月はどうしても、ほら………夜通しの護りが要るでしょう。特に、ここ数ヶ月、近隣の国々でもおかしなことが起こっている。春分の祀りも来月だ。木の芽どきには、どうしても一緒におかしな連中も目を覚ます。ここで、新月の護りを十分固めておくにしくはないと、判っておいでのはずなんですが、姫さまは」 「兄君さまと離れるのがおイヤ」 金森が先に言った。 有坂が、言葉もなくがっくり肩を落とす。 くすくすと笑いながら金森が頚を傾けながら、今度は熱い茶を煎れにいく。 あとはもう皆、あの扉が明日の朝開くのをこのまま一晩、待つだけで良いのだ。 扉の向こうの人間が、毎度、不承不承でも、納得さえして務めてくれたなら、あとは黙って見守るだけ。 一晩分の残業代もちゃんとつく、これは悪くない仕事なのである。 誰もがすでに徹夜態勢の和みムードだ。しばらくすれば、夜食の弁当も配られるだろう。 新月の宵のふるまい弁当は、銀座「高松」の松花堂弁当と決まっている。 これがまた、すこぶるうまい。役人の安月給ではどう転がっても口に入らぬ品である。 「姫さまは、兄君さま至上ですからねぇ。「オモテ」との契約も、兄君さまと一日に僅かなお時間でも、共にお暮らしになるため。葛葉の老翁さまが、このご条件をつけてくださらなければ、きっと、何があってもご了解なさらなかったでしょうもの」 金森の持ってきた茶を、熱そうに指先で受け取り、横目でふぅふぅと息を吹きかけながら、ふと、有坂の目が厳しくなる。 「ときどき……恐ろしくなることがありますよ。あの方がおられなければ、この国の影の護りは一体、どうなってしまうのかと。あの方がおいでの前は、老翁さまがお努めでいらしたが、あのご高齢。もはや、姫さまに代替わりをなされた今となっては、お戻りを願うこともかないますまい。大表の方さまがお務めのはずのお仕事ではありますが………それが本来おできになるなら、あの方のような人はそも必要になかったのだ」 有坂さん、と、金森が咎めるような目をして、その顔を覗きこんでくる。 彼らの組織を統べる、「大表」の名を口にするのは、それだけで不遜な行為だ。 有坂は、わかっていますと苦笑混じりに頚を振るが、その目がどこか尖っているから、金森の顔はすっきりとは晴れない。この男は、扉の向こうの人間に近づき過ぎている、と、細田がよく零すのを聞くともなく聞いているせいもある。 「姫さまもおっしゃっておられるではありませんか。世界は、その性として均衡を求めると。確かに、大表の方さまが神性を擲たれたのはもはや半世紀も前のこと。幾万の日の本の人の命とこころをお守りになるがための苦渋のご選択でした。しかし、擲たれた神性はあまりに大きすぎ、そのまま失われては国が成り立ちません。どこかで保たれておかねば。それが、均衡」 必要とあれば、いかなるときも巫女として務められる。 金森の目は、黒く、清く、迷いがない。生まれは出雲の神社の神主の娘だから、幼い頃から、教えられていることも違う。 それに比べると、在野あがり、その生まれつきの体質が高じて「オモテ」に務めることになった有坂には、まだ迷うところが多い。 おそらくは、金森の言う事が頭でわかっても、胸の中に落ちていないから、返事がない。 「それに、老翁さまはそれ以前より、ずっと、影なる守りを続け、代々の大表の方さまと国を護って下さっておいでです。力を持つ、ということは、なべて、そうではありませんか。有坂さん。我等が護るべき人たちのために。姫さまのあの子どものような我が儘は、あなたが押さえて下さらなければなりません」 わかっています、と、片腕組みを深くして、まだ熱いだろう茶を無理して啜っている。有坂の横顔が険しいままだから、金森はこの男も扉の向こうの人物に負けず劣らず、実は強情と思って、少し、笑ってしまう。 要は似たもの同士だ。 だから、放っておけないのだろう。 ゆっくりと茶から唇を離した有坂が、何を思ったか、ふと、何かに気付いたように小さく呟いた。 「では、たとえば、もし、兄君さまになにかおありになったなら……あの方を「オモテ」に縛るものは、何もなくなってしまうのか」 金森の耳にも、その呟きはひどく唐突に思えた。なかなか浮かぶ発想ではない。 どうしてそのような事を考えるのかと……そう、尋ねようとしたとき、誰もが明日の朝まではけして開いてはくれるなと祈るように思っていた扉が、けたたましい大音声と共に、蝶番ごと部屋の中に吹っ飛んできたから、部屋の中の者は一斉に頭を押さえて床に伏せた。 飲みかけた茶を、有坂などは盛大に吹きだして目を白黒させている。 「あ……有坂ァッ!」 部屋中に響き渡ったのは、まだ幼さを残す女の声。鋼鉄製の扉を、細い体で、どのように蹴り飛ばしたら、あんな風にまっすぐに吹き飛ばせるものなのか……しかし、どうやら本当に蹴り飛ばしたらしい、豪奢な祀り衣装を膝までまくりあげ、振り上げていた足を降ろして、ヌッと部屋の中に入ってくるのは、見たところ、年の項、十八、九くらいの小娘だ。 頭に黄金の冠をかむっている。容姿は美しいと言ってもいいのかもしれない。しかし、男女の別が一瞬つきにくくなるような剣呑さがその体全体から漂っていて、「怖い」の感が否めない。 まくりあげていた裾を落とし、ずんずんと部屋の中に入ってくるのに、一斉にみな、ゴキブリのように反射的に床を這って逃げている。立っているのは、湯呑みを握りしめている有坂と、その脇で目を剥いている金森くらいなものだが、こちらも逃げたいが逃げ遅れたと評したほうが良さそうだ………彼らの前に、女はまっすぐに歩んでくると、ぐいと顎をあげ、蒼白の面を向けた。 「も……もう我慢ならんッ。この動悸、この胸騒ぎ。ただ事とも思われぬッ!」 有坂の表情から驚愕が抜け落ちた。 女の表情の必死さに、何事か起こったことを理解したらしい。 確かに、冠からりるる、りるると珠が鳴るが、その清浄さも役にたたぬほど、女の顔色は蒼白だ。 胸を押さえ、乱れた長い黒髪がまるで夜を引きずっているように、その背に流れている。 「やはり、帰るッ。私は店に帰るぞッ。このようなところで、榊なぞ、呑気に振っておられるかッ!」 言うなり、今度は裾を掴んで、サッと今来た扉の方を振り返った。 すでに走り出しそうなその袖を、有坂が必死の顔で掴みしめる。 「お、お待ちください、姫さま、一体なにが………ッ!」 「待たぬッ!」 耳障りに派手な音とともに、有坂はバランスを失って床に転ぶ。別の種類の驚愕の表情で、女を見上げる。 自分が転んだのが、問答無用に、女が豪奢な衣装の袖を引きちぎったせいとわかったのは、女の白い二の腕が、焼き付くほど鮮明に有坂の目に映ったのと、自分の手の中に柔らかな絹が幾重にも重なった袖が残るのを馬鹿のように見比べて数秒経たのちだ。 舌打ちしそうな苛立ちと焦りを浮かべた中性的な美貌が、有坂の瞳をよぎったのも一瞬の事、もの凄い早さでいま来た扉の向こうへ走っていく女に、有坂はまろぶようにそのあとを追う。 「姫さま、なりませぬ、姫さま、今宵の新月の護りはあなたさま以外……ッ!」 「黙れ、有坂ッ。お主の説教なら後で聞く!しかし……もし……もしこの胸騒ぎどおり、兄上になにかあったのなら、お主らまとめて、二度とものの言えぬ体にしてくれるから、そう思えッ!」 祭祀場は、首都、摩天楼にあるさるビルの屋上だ。だが、一目にはそれとは信じられぬような異様の緑に溢れている。 その中央に用意された白木の祭壇に立ち、女は両手を次々に不思議な形に組み合わせる。 常に吹いている風が、瞬間より、奇妙に上空へ、強く逆巻き、女の髪や裾をなぶった。 「臨!天!照!光! 具現せよ、睡天球ッ。虚空の道を開け! ……早うせよッ。我が名は天魔 涼ッ……えぇ、そうじゃ、この天魔 涼が命じておる! くそッ、のたのたしておると、残りの三天ともどもに粉々に叩ッ壊すぞッ!」 あぁ、有り得ない。 事態が事態であるのだが、思わず有坂は両手で顔を覆う。 神宿る珠に向かってあの口のききよう。どうして罰が当たらないのか不思議でならない。 その顔を覆った手を、あたりが真白に染まるのに、慌てて離す。 が、そのときにはもう遅い。 屋上の祭祀場には、もうすでに、誰も、いない。 思わずその場に膝をついた有坂の背を、後ろからやってきた金森が、こちらも呆然とした顔で、小さく、押さえた。 「金森さん」 「はい?」 痛ましい。そう言った表情で、金森は頚を傾ける。 「室長決裁の始末書、資料特盛りコースで一式。できるだけかさばらせて、明日の朝までで……お願いします」 呆けた顔のまま呟いた有坂の言葉に、 「謹拝」 左の掌に右の拳を合わせながら、深く、金森が頷いた。 |
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